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   <title>至福の一口</title>
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   <subtitle>一口食べたらやめられない、魅惑のお菓子。某所評判等々</subtitle>
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   <title>レースの昔話　３</title>
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   <published>2012-05-07T03:39:29Z</published>
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   <summary> インディアナポリスに優勝したことのある某ドライバーは、ファンジオの腕前をあから...</summary>
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インディアナポリスに優勝したことのある某ドライバーは、ファンジオの腕前をあからさまに嘲ったが、セブリングで一緒にレースしてみると、ファンジオの後ろ姿をとらえることができないばかりでなく、周遅れにされてしまいました。


インディアナポリスに優勝したドライバーが、セブリングで残した最高の成績は三位です。


1955年のインディ優勝者の故ボブ・スウェイカートで、ロード・レースのベテランのコ・ドライバーとして出場しています。


彼はファンジオに対し、練習走行の時に一緒に乗ってコーチしてくれないかと頼んでいました。


      
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   <title>レースの昔話　２</title>
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   <published>2012-04-08T03:39:20Z</published>
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1957年にフアン・マヌエル・ファンジオが優勝したレースで、彼はこのカーブを常に他のドライバーより速く走っていました。


しかし、出場車のうちで最も排気量の大きなエンジンを積み、馬力があまっていたにもかかわらず、後輪の空転はごく少なかった。


トラック・ドライバーは、このような微妙な操縦方法を軽蔑しがちで、優勝するためにはアクセルを床まで踏みっぱなしにして、ハンドルを握っていればいいのだと言う。


また、ロード・レース・ドライバーのことを&quot;アマチュア紳士&quot;とよび、そのクルマを&quot;スポーティーカー&quot;とよびたがる。


一方、グランプリ・ドライバーの側では、トラック・ドライバーを、腕前はたいしたことはないが、綱渡り芸人のように度胸のある人間だと考えています。


実際のところは、この二種類のドライバーは、野外横断競走の騎手と平坦地を走る競馬の騎手のように、違っているが関連あるレースに従事しているのです。


たとえば、グランプリ・ドライバーのブレーキの使い方は科学に近いが、インディァナポリスのドライバーは、緊急の際かピットに入る時しか、ブレーキを使わない。


二つのグループのドライバーは、自分のホームグランドでは、他のグループに属するドライバーより優れています。



      
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   <title>レースの昔話　１</title>
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   <published>2012-03-02T04:39:05Z</published>
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週末には、セブリング空港に400機も着陸し、1958年には、1時間に84機の着陸を記録した。


パドック・チケットを持っている人たちは、たいてい自分の自動車を根拠地にする。


ホテルで作ったボックス・ランチや、屋台店で売っているサンドイッチやホットドックやプレート・ディナーを食べる。


レース中はサーキットの内側をコーナーからコーナーへと歩きまわる。


コーナーはドライバーの腕前を見るに最適のところです。


たとえば馬蹄型力ーブのところは、加速する時に後輪が前輪よりどのくらい速く回転するか、近くによって安全に見ていられます。


腕が悪いと回転の差が大きい・・・のです。


      
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   <title>折れた木を元に戻す方法</title>
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   <published>2012-02-04T07:38:35Z</published>
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   <summary> 生命を語るとき・・・。 祇園下河原に玉の家という料理屋があります。 ここの庭先...</summary>
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生命を語るとき・・・。


祇園下河原に玉の家という料理屋があります。


ここの庭先にある松は幹のところに斜めの大きな傷あとがあります。


人間でいうと外科手術の縫合あとのような感じだ。


今から約十年前、若い庭師さんが勢定の最中にポキッと折って、かろうじて松の外側の皮の部分がちょっひりつながっている状態になったことがあるそうです。


若い職人さんの顔も青ざめたが、そこのご主人も怒った。


しかしできたことはしようがない。


早く根から掘り出して処分をし、その後に何か代わりの樹を植えるように指示をした。


夕方には宴会のお客様も見えることだし、折れた松がそのままでは目ざわりでしようがない。


目ざわりだけでなく、縁起が悪いと宴会がしらけるというものでしょう。


若い職人さんは、あわてて親方に電話して指示を仰いだ。


親方は当時は病気で自宅療養中だったらしい。


ところが親方の指示は意外だった。


そのままにしてわしか行くまで待て、そしてお前は前刀定を続けうというわけです。


若い職人さんは、それでいいのかと迷ったことでしょう。


しかし、親方のいうことだから仕方がない。


庭に戻って前刀定を始めると、今度は料理屋のご主人がまた怒る。


何だ、お前のところは折れた松まで勢定して金を取る気かというわけです。


そこをまあまあとなだめながら親方を待っていると、仕事で散っていた職人七、八名を集めてかけつけてきました。


そして、まず餅をつかせ、木から分泌している松脂とト分練り合わせ、次に練りあがったものを松の傷口にていねいに塗って行く。


一方、その他の職人はジャッキで松を徐々に徐々に起こしていくのです。


あまり早く持ちあげると、わずかにひっついている皮の部分がちぎれて折れてしまいます。


その状景を想像しようとするなら、マッチの軸を折ってみるとよい。


くの字に折れたマッチを急いでまっすぐにしようとすると、ちぎれてしまいます。


そんなわけだから、作業は夕方から始まって翌朝の明け方までかかったそうです。


当時七十二歳の病気の親方は縁先に寝ころびながら、もう少し右とか左というようにその采配が鮮やかだったそうです。


宴会のお客も、あの折れた松が生き返るだろうかと半信半疑ながら、その采配ぶりに見ほれて朝までつき合ったそうです。


結論を急ぎましょ。


今、その松は、新芽をつけて生き生きと伸び続けています。


私は、この松を見ながらしみじみと感じた。


ひとつは、生命力の強さだ。


皮一枚しかつながっていなくても立ち直れるという力強さだ。


第二には、経験という時間の蓄積の強さだ。


老職人は二十歳のころにこれに似た経験をしたことがあるそうです。


これがなければ、今頃この松はとうになくなっています。



      
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   <title>前回の続き</title>
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   <published>2012-01-07T07:38:05Z</published>
   <updated>2012-01-07T16:30:07Z</updated>
   
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      とある人は次のような文章を作ったことがあります。


「森は時間の蓄積、である」と考える。


それが証拠に、今、一万本の苗木を植林したとしてもそれを森ということはできない。


樹齢何百年という老木もあれば、その樹の実が落ちて、今、芽を出したばかりの若木もあります。


そういった多くの種類の樹々が、それぞれの役割を認識しあいながら、かばいあいながら時間を蓄積、していっているのが森ではないでしょうか。


そして時問というものは、消費されていくと考えるか、蓄積されていくと考えるかによって、その人の生きる姿勢が決まるものだと思います。


過ぎた青春は二度と帰ってきません。


日、一日と時間は消費され、生きている時間が減ってゆくと考えると淋しい。


逆に、経験した時間が蓄積していくと考えることができれば強い。


同じ三年間を過ごしても、一年を三回くり返しただけだという人間と、三年の間には、しみじみ三年間の成長の跡がうかがえるというのでは大ちがいだ。


      
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   <title>ぬぐいきれない言葉</title>
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   <published>2011-12-05T07:37:52Z</published>
   <updated>2011-12-05T16:30:09Z</updated>
   
   <summary>「ぬぐいきれない言葉」いったい、ぬぐいきれない言葉とはどんな言葉があるだろうと考...</summary>
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      「ぬぐいきれない言葉」いったい、ぬぐいきれない言葉とはどんな言葉があるだろうと考えているうちに、いろんな発想が出てきます。


そしてその言葉だけでなく、同時に「乾いた言葉」とか「忘れられない言葉」が浮かんできます。


「信号は青に変わった。立ち止まろうと思ったのに・・・」


「どうしようもない私が歩いている・・・」


このあたりの文句を見ていると、落書きした人の心理状況が痛いほどわかるような気がします。


ときには流行歌が書きなぐってあるが、それはそれで発想のきっかけになります。


「心あるならば、このひとときのために時計をとめて・・・」これは「時計」という歌の一節だが、おそらく恋人との時間でもあろうが、この落書きを見ながら時計への連想が湧いてきます。


今の言葉をいいかえるなら何となるでしょう。


「今は時のすべて」なんていうのは気障かな。


時間といえば、時を忘れる、もしくは忘れさせる、時間が短い、または時間が早くたつようだ、そして「時間を蓄積する」というように浮かんできます。


      
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   <title>森は時間の蓄積</title>
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   <published>2011-11-01T06:37:40Z</published>
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   <summary>森は時間の蓄積です。 文章や言葉での発表の仕方によって、その人の属する世代とか、...</summary>
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      森は時間の蓄積です。


文章や言葉での発表の仕方によって、その人の属する世代とか、生いたちのプロセスがわかる。


「何時の汽車に乗るから・・・」となにげなくいう人もあれば、「何時の列車に乗るから・・・」という人もあります。


これだけをもって時代感覚が占くて遅れているとか、いいとか悪いとかいえる問題ではない。


しかし、いまどき、パンティといわずにズロースと、平気でいう人がいたとすれば、これは頭をひねらざるをえません。


程度問題だが、やはり表現感覚に新鮮さがほしい。


そこでひとつの質問だが、「あなたの生年月日を西暦年号で答えられますか」若い人から、あなたの生年月日を聞かれたときに西暦でいってみてほしい。


相手はきっとあなたを見直すにちがいありません。


そして、もし昭和ではいえるが西暦ではという人は、昭和の年に25をたしてもらえば計算しやすいはずです。


たとえば昭和四年なら4に25を加えて29、だから1929年というようにいえばよろし。


昭和十五年なら15に25を加えて40だから1940年というわけです。


大正年代なら11を加えれはよし。


もうひとつ質問してみよう。


「節約とか、迅速などという言葉を別の表現でいってほしい」会社の掲示板などに古めかしい標語が色あせたまま貼ってあることが多い。


どんな表現を使おうとも真理自体に変わりはないけれども、ときには次のような表現も考えてほしいものです。


節約→落とすな、拾おう迅速→止まるな、走ろうところで、こういった表現のためのネタさがしには若者の集まる落書き喫茶などの落書きをみてまわるのも一興だ。



      
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   <title>部下の評価というような問題</title>
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   <published>2011-10-05T06:36:31Z</published>
   <updated>2011-11-28T04:41:27Z</updated>
   
   <summary>本当に写生をしてみるなら、太陽はめくるめくゆがんだ図形にとらえられるかもしれない...</summary>
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      本当に写生をしてみるなら、太陽はめくるめくゆがんだ図形にとらえられるかもしれないはずです。


ところで、こういった本当の写生でない写生画が描かれる「八の字」文化の傾向は、きびしかるべきビジネスの場にもあるから困りものです。


たとえば、部下の評価というような問題は典型的な一例だ。


ある評価項目にA君は10点満点のうち9点を取っているとしよう。


B君は4点であるとします。


こんなとき、評価者の寸評を見ると、A君には、この調子で頑張ってほしい。


B君には、努力を要するなどと書いてあるケースが多い。


しかし、この寸評もよく考えてみると、「八の字」評価といわれる可能性を含んでいるのではないでしょうか。


本人たちの現状をよくつかんでいるならば、9点を取っているA君に向か(.て、もっと努力を要すると書き、4点のB君に向かっては、よく頑張った、この調子であると書くべきかもしれないわけです。


現在、部下が求めているものは、単純なほめ言葉ではなく、正しい評価です。


「ごくろうさま、おつかれさま」の書葉の代わりに、評価の言葉を正しくかけてやってほしい。


「ごくろうさま」も符丁化してはおしまいです。



      
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   <title>富士山</title>
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   <published>2011-09-06T06:36:04Z</published>
   <updated>2011-11-28T04:41:27Z</updated>
   
   <summary>富士山をつぶしなさい。 岡本太郎さんは、「八の字」文化からの脱出を強調しています...</summary>
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      富士山をつぶしなさい。


岡本太郎さんは、「八の字」文化からの脱出を強調しています。


どういう論旨か要約してみると次のとおりです。


「料理屋とか古風な家などに行くと、ついたて、ふすま、のれんなど、ちょっとした工芸品のすみにまで、八の字のような形の絵が描かれています。


八の字とは富士山だ。


そして、その富士山は自然の富士山のかけらさえも感じさせることがない。


山の実感など、どこにもとらえられていないにもかかわらず、誰もがおかしくも思わず文句が出ないのはなぜだろうか。


それは、絵というより一種の符丁、合い言葉だからだ。


八の字＝富士山―結構なものというように、無意識のうちに約束事のようにしているからだ。


その他&quot;鯉の滝のぼり&quot;にしろ、松だの虎だの達磨だの、われわれがしょっちゅう床の間でお目にかかっている画材もこの八の字に毛がはえた程度のものです。


われわれは、こういった感覚から脱却しなければ、精神的な堕落を続け、新しいものを生み出すことができない」


この点については、まさにそのとおりだと思います。


子供に絵を描かせると、赤いクレヨンで丸い円を描いてぬりつぶし、周囲にチョンチョンとひげをつけて太陽にします。


その下に家を描き、ロボットのような人間の絵を描き、チューリップかひまわりなどの草花の絵を添える。


これでは実感のこもった絵とはいえない。


ごまかしのきく符丁といわれてもやむを得ないでしょう。



      
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   <title>筋のとおる考え方</title>
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   <published>2011-08-07T03:19:03Z</published>
   <updated>2011-11-28T04:41:27Z</updated>
   
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      こんにちは。今日は、筋のとおる考え方についてです。


「私は学歴が低い。それゆえ私の入生は先が見えている」ということばには論理性がありません。


筋がとおらない考え方です。


「それゆえ」という接続詞がくせものです。


「それゆえ」と断定するほどの論理はありません。


むしろ「だからといって」私の人生は先が見えているとは言えない、といった方が理にかなっています。


父や母から「学歴」ということばを洗脳され、そのことばを暗記しすぎた結果です。


暗記するなら論理のとおる考え方を覚える方がよい。


すなわち科学的思考法を覚えることです。



      
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   <title>公営住宅</title>
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   <published>2011-07-20T04:06:41Z</published>
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   <summary>公営住宅においては、2世代同居の住宅が見直され、老人室が隣りあったペア住宅が生ま...</summary>
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      <![CDATA[公営住宅においては、2世代同居の住宅が見直され、老人室が隣りあったペア住宅が生まれています。


老人同居住宅を考える場合には、ただ老人室を設けるだけでなく、生活空間を分離して、2世代家族の生活を可能にする住空間を計画することを基本としたいものです。


ライフサイクルから考えてみても、<a href="http://nuqmo.com/" target="_blank">ソファー ベッド</a>のある老人室を別棟とするよりも、玄関を共用として、家族のそれぞれの動線を明確に分離した平面とする方が、効果的で有用でしょう。


簡単な台所と便所を別個に設ける必要はあるが、浴室は共用でもよく、だんらんは常に一緒にし、食事も時々共にするようにすればよい。


スープの冷めない位置で、同じ屋根の下で暮らせるのは幸福なことです。

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   <title>事実に基づいたことば</title>
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   <published>2011-07-07T03:17:43Z</published>
   <updated>2011-11-28T04:41:28Z</updated>
   
   <summary>人生の事実に基づいたことばについて。 「金は不潔である」「性は神聖である」という...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://computer-repairetc.com/">
      人生の事実に基づいたことばについて。


「金は不潔である」「性は神聖である」という文章記述は事実を語っていません。


ユリは美しいという文章記述と同じで、そういうことを口にしている人間の主観の表現にすぎません。


客観的事実を語っているわけではありません。


客観的事実でないものを客観的事実のように思い込むところに、不幸の始まりがあります。


現実の世界に則さない行動をするからである(例-受けとってもよい金銭的報酬を拒否するとか、エンジョイしてもよいセックスを避けるとか)。


客観的事実を直視すると一時的に落ち込むこともあるが、この落ち込みを通過した人生肯定の感情が本当に身についたものです。


事実を見る辛さを避けて、願望の世界に住むくせをつけてしまうと、これが不幸の始まりです。


たとえば毎日残業している父の給料がいくらかを知らない子どもには、父の労をねぎらう感情は湧きにくい。


金は天から降ってくるような幻想的人生観の持ち主になります。


      
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   <title>こんな物語</title>
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   <published>2011-06-07T03:20:19Z</published>
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   <summary>こんな物語があります。 ・・・昔、ある家の者がもののけに病んだので、祈疇が行なわ...</summary>
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      <![CDATA[こんな物語があります。


・・・昔、ある家の者がもののけに病んだので、祈疇が行なわれることになりました。


もののけは依りましに移ると「私は集りのもののけではない。


浮かれて通りかかって愚いた狐だ。


塚穴の家には子どもがいて食べ物をほしがるので、餅でも食べていくことにしよう」と言います。


そこで餅を出すと、「うまい、うまい」と食べる。


人々は依りましの女が餅が食べたいばかりに狐が愚いたふりをしているに違いないと思った。


それでも、依りましが「紙にこの餅を包んで持ち帰り、女子どもに食べさせよう」と言うと、そのとおり紙に包んで腰にはさんでやった。


それから、修験者が狐の霊を追い払ってみると、依りましの懐の餅はなくなっていました。


笑い話のような話だが、依りましを通して愚霊と会話することにより、病の原因と治療法が明らかにされているということがわかるでしょう。


そして、現代の占いでは、<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>が良かったです＾＾
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   <title>ポジティブな感情</title>
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   <published>2011-06-07T03:16:11Z</published>
   <updated>2011-11-28T04:41:29Z</updated>
   
   <summary>せっかく記憶するのならばポジティブな感情(愛、信頼、希望、勇気、やる気、自信など...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://computer-repairetc.com/">
      せっかく記憶するのならばポジティブな感情(愛、信頼、希望、勇気、やる気、自信など)を生んでくれる文章記述を覚える方がよいですよね。


少年時代に「友あり、遠方よりきたる。また楽しからずや」と暗記したように、人生肯定的なことばを覚えることです。


ネガティブな感情(怒り、絶望、不安、恐怖、不信、怠惰など)が人を幸福にする率は低い。


もし人生の目標を「幸福」におくならば、少しでもポジティブな感情を持つ方がよい。


ポジティブな感情を湧き立たせることばとは、いずれかの条件を有するものなのです。


      
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   <title>文章記述の所産</title>
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   <published>2011-05-07T03:15:30Z</published>
   <updated>2011-11-28T04:41:29Z</updated>
   
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      こわい(感情)から逃げる(行動)、好き(感情)だから接近(行動)する。


それゆえ無感情・無感動・無関心だと行動は生じにくいでしょう。


感情は心のなかに何らかの文章記述があって、その文章記述の所産なのです。


そしてこの文章記述は人から教わったものが記憶としてとどまっているのです。


たとえば私はかなり疲れているときでも教室に入ると気持ちがしゃんとする。


「一難を排して契約は履行せねばならぬ」という考えをアメリカ人に教わってそれをそっくりそのまま覚えているからです。


      
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